“雨に唄えば”
ワイズ関西HPをご覧いただきましてありがとうございます。
営業管理部の K介 です。
あともう少しで2015年も半分が終わろうとしています。
はやいですね…この体感時間の加速はいつまで続くのでしょうか…?(汗)
いつ頃だったか、この体感時間の過ぎる速さは、1年がその人の年齢のうちの何分の1を占めているかで変わる…というような話を聞いたことがあります。
僕は現在24歳ですが、僕の生涯における1年とは当然“24年分の1年”ですよね。
しかし、僕が例えば5歳の時はというと、こちらも当然ながら“5年分の1年”です。
“24分の1”と“5分の1”…比較してみると、同じ1年でもそれぞれの生涯における割合は大きく異なります。
ということは、K介24歳の1年はその分短く、K介5歳の1年は長く感じられるわけですね。
この考え方が正しいのかと問われると困るのですが、気持ち的には妙な納得感がありませんか?
そしてこのことから導かれることは、歳を重ねれば重ねるほど体感時間の加速はどんどん大きくなっていく…という恐ろしい結論です(笑)
1日1分1秒をしっかり味わって悔いのない人生を送りたいものですね…!
時間の速さ―といえば、ついこの間まで「寒い寒い」と嘆いていたのに、今では晴れた日の暑さに体力を奪われがちですし、春はいつきたの?とふりかえる間もないうちに、梅雨の季節に突入してしまいました(笑)
日本の美しい四季はいずこへ…?
僕は梅雨入りしたという報せを聞くと、どうしてもいい気分にはなれません。
蒸暑さとじとじとした空気感はもちろん、僕自身がここぞという時に限って天候に恵まれない典型的な雨男なので、
「ただでさえハイリスクなのに…!」と余計に不安を募らせながら外出の予定を考えないといけなくなるのです(涙)
…そんないまいち調子の上がらない今日この頃ですが、先日インターネットでちょっとおもしろい記事を見つけましたので、この場をお借りしてご紹介したいと思います。
MY LOHAS 『梅雨も愛おしくなる、雨にまつわるちょっといい話(』 ― 知恵子
この記事では、日本語における様々な雨の呼称について紹介されています。
僕自身も初めて耳にするような“雨”ばかりで非常に勉強になりました(ちなみに、気になったのでいろいろ調べてみると他にもすごい数の“雨”がありました 笑)。
“ゲリラ豪雨”というネーミングセンスにもなかなかのものがありますが、
「分龍雨(ぶんりゅうう:龍の体を分けるように激しく降る雨)」とか「神立(かんだち:雷をともなった夕立、雷雨)」というのも迫力がありますよね。まぁできることならあまり遭遇したくはないですが…
普段雨が降ってきても、多少はその季節感を気にすることはあっても、ほとんどが雨の強さや時間帯に意識がいってしまいます。
しかしご先祖様は、時間的・地理的な細かい状況だけでなく、その場の情緒までをも呼び名に込めていたようですね。おしゃれだと思いませんか?
日本語は難しい言語だとよくいわれますが、このような独特の感性がその一因なのかもしれません(笑)
“天(そら)の気”と書いて、“天気” ― 。
この“気”には、天の下にいる人間の気が含まれているようにも思えます。
つまり、一見すると同じような天候でも、それぞれの人によって見え方・感じ方が変わる、なんて意味合いがそもそも込められているのかも…というのは、僕の考えすぎでしょうか(笑)
しかし、単に雨だからといって肩を落とすのではなく、
今降っている雨にご先祖様は一体どんな呼び名を付けたのだろう・どんな思いを込めたのだろう ― と考えてみると、ちょっとした気分転換にはなるかもしれません。
ちなみに、上記の記事には載っていませんが、僕は「遣らずの雨」という呼び名が気になりました。
「あたかもお客様を帰したくないかのように降ってくる雨」という意味だそうです。
降り出した雨をやり過ごす合間に、お一人でも多くの方が少しでも長い時間、このワイズ関西HPを覗いてくださると嬉しいです。
なにかと体力的に負担のかかりやすい季節ですので、体調を充分にお気遣いください。
それでは、今回はこのあたりで失礼します。
お読みいただき、ありがとうございました。